2021-10-14
お店と店主の羽賀について|新宿三丁目ビストロease
皆さんこんにちは!新宿三丁目easeの店主羽賀です!
新宿三丁目ビストロeaseは今日も暇ですにぎわっております!
おかげさまで今日も私は趣味の映画三昧大変忙しく立ち働いております!
さて、今日は新宿三丁目ビストロeaseの店主羽賀がどのような経緯で現在の場所、新宿三丁目でビストロを始めるに至ったかを皆様に知っていただこうと思料いたしまして、さながらTEDのようにかっこよく語って参ろうと意気込んでおります。
「ブログなのにTEDはないだろう!」と言う激しい突込みが聞こえてきそうですが、まあ、その辺は気持ちが大事ですから、この際、細かいことは気にせずにおおらかにそ~っと見守っていてくださいm(_ _)m
いや~まさに人に歴史あり、
思い返してみると本当にいろいろなことがありました。
新宿三丁目、しかもビストロという今の営業スタイルになるまでに紆余曲折、何度も何度も挫折を味わいました…
しかし、いろいろな経験を糧にし、皆様のご愛顧のおかげもあり、羽賀も、ここ新宿三丁目に18年続くビストロeaseを持つことが出来ました!!
さあ、語りますよ!!
みなさま!ハンカチの準備はできました?一枚じゃ足りませんよ!たぶん
どうですか?
始めますよ!3、2、1…
ハイ拍手~!!
新宿三丁目ビストロeaseの原点神楽坂
わたくし羽賀好行が、新宿三丁目ビストロに至る長き道程は、今から20年以上前の2001年神楽坂から始まりました。
(因みに、神楽坂は新宿三丁目から徒歩で約45分ほど、意外に近いですね…)
友人の誘い手飲食業界に入り、新宿三丁目から意外と近い神楽坂にて羽賀含め友人と3人でBAR「一夢庵(いちむあん)」を始めたところからビストロeaseに至る壮大な旅は始まります。
この時は防衛省裏の、なんと!6畳一間を3人で借るという、いわゆる極貧生活時代先取りの超シャレオツなシェアハウス生活をしておりました。そう、皆さん物は言いようです。悲壮感を出したら終わりです!
今のビストロとは全く違ったBARという営業形態、、集客もうまくいかず最初から経営危機を迎えておりました…
この時は、お弁当を神楽坂で販売したり、神楽坂阿波踊りにテキ屋として参加したり、配送業をしたりしましたが、、遂には資金が底をつきました。。
私が配送業を行って得た給料を支払いにまわして糊口をしのぐという負のスパイラル…まさに暗黒時代。。
しかし、昔超有名なバスケの監督が言ってました。「諦めたらそこで試合終了だよ」そう、あきらめなければ道は開けるものです。
でも、こう言ったらなんですが、本当に楽しい時期でして、そうこうしてなんとか危機を乗り越えることに成功いたしました。安〇先生にも感謝しなければなりません。
それにしても、弁当に配送業、〇西先生のおっしゃる通り、できることは何でもしなければならないとはいえ…今のビストロにはあまり直接つながらないことしてましたね^^;
同じ年、かねてより計画していた移動式販売を実施するため、移動販売車アンシャンテ号を製作!
アンシャンテ号の完成により、暗黒時代が終わろうとしているのを実感しておりました。
(この時のDIYの経験がのちの新宿三丁目ビストロeaseの店舗内装のDIYにつながったのかなと思ってます。)
移動販売車アンシャンテ号
当時としては珍しい連結型移動式販売車を製作
やはり、手塩にかけて作り上げた初めての移動販売車、愛着がわきます。
さあ、このアンシャンテ号を駆りいざ新宿三丁目へ!!!
…とはなりません!人生そう簡単にはいきませんよ。皆さんもわかってますよね?焦ってはいけませんよ。「急がば回れ」、「人間万事塞翁が馬」昔の人は本当に良いこと言いますよね。
(因みに大手町は新宿三丁目から徒歩1時間以上…遠ざかってる、、、まさに急がば回れ)
さて話を戻しましょう、一番初めに、東京大手町サンケイビルで移動式BARをスタートしました。
サンケイビルには大きな広場があり、そこにはテーブルやいすが置いてありましたが、活用されていない状況でした。そこでサンケイビルに対して、広場の活用法を提案、承認していただき販売スタート!
…なんですが、ここでもやはり順調な営業とはならず、、、まあ、いろいろ大人の事情等がありました。(詳しく知りたい方はビストロeaseにて、羽賀が詳しくお話ししますよ^^)
因みに現在のサンケイビルはこんな感じです。20年たちますけどね…相変わらずお洒落な感じでよね^^
明けて翌2003年今度は目黒区のとある場所(場所については地主さんの個人情報にあたるため伏せますご了承ください)に空き地を発見!
ここでわたくし羽賀は行動力を発揮、なんと!地主さんに直談判に行きました!
昔の人は言いました「当たって砕けろ」ホント良いこと言いますよね、本当に砕けちゃ困るけど実践あるのみ!!
結果は、なんと、、、、OK!!!
砕けなくて本当に良かった…何でも言ってみるものですね教訓を得ました。
地主さんにお墨付きをいただいたということで、ここに車を常駐させてBARをスタートさせます。
新宿三丁目ビストロeaseオープン
そうして、多岐にわたる活動の結果2003年、出資者が現れ、実店舗を持つことが可能になりました。
ついにたどり着きました、新宿三丁目の地下に隠れすぎて見つからない隠れ家的にたたずむ落ち着いたビストロ
待望の新宿三丁目ビストロeaseオープンです!!!ハイ拍手~♪
実はこの時、神楽坂以来の苦楽を共にした友人二人と仲たがいをいたしまして、、
わたくし羽賀個人でオープンいたしました。
(この辺詳しく知りたい方は、ぜひ新宿三丁目の地下まで)
そう、神楽坂から始まり、新宿三丁目のビストロまでたどり着いたのは羽賀たった一人でした…
たった一人でお店をオープンさせる…孤独ではありましたが、充実していて凄く楽しかったのを覚えています。
先にも書きましたが、この時の新宿三丁目ビストロease、内装は、一からわたくし羽賀の手作りでした!
なぜ自分で作ったか、、理由はズバリ資金不足!(ドヤ)
一人で、自分の思い通りのお店を誰にも邪魔されずに作り上げる満足感。今みたいに、ググれば何でも調べられる時代ではありませんでしたから、ものすごく大変で、とても苦労はしました。
水道管破裂、壊してはいけない壁の破壊等を乗り越えて約4か月ほどで、遂に新宿三丁目の地下にビストロ実店舗完成!
本当に満ち足りた日々でした。あ、言うまでもなく今も充実してますよ。
思い返せば2001年、この世界に飛び込んでから、アレ、、3年?意外に順調長い旅路の果てにここ新宿三丁目で念願のビストロをオープンです!
新宿三丁目ビストロ2号店CAROオープン
念願だったビストロを新宿三丁目でたった一人でオープンさせた羽賀でしたが、そこで満足はしませんでした。
6年後の2010年、新宿三丁目にほど近い新宿五丁目、ここになんと!
ビストロ2号店CAROをオープンさせました!!
そうです、規模拡大です!
皆さん今、「順風満帆」って思いましたよね?ですよね~
私も思ってたんですよ、5年間は…
「禍福は糾える縄の如し」昔の人は良く言ったもんです…ホント誰が考えるんだろ…
新宿三丁目ビストロ2号店CARO閉店
5年後の2015年、2号店CAROは閉店…
このとき、チョット人大人の事情がありまして…
(詳しく知りたい方は新宿三丁目で飲みながら羽賀とお話ししましょう。)
まあ、でもこの時のことは「勉強」と言ったら変かもしれませんが、いろいろな気付きを私に与えてくれたと思っております。
そして今に至る
以上のような旅路を経て、わたくし羽賀は新宿三丁目でビストロeaseを経営するに至っております。
新宿三丁目は本当にいろいろなバックグラウンドをもと方々が集まってくるところです。世界の乗降客数1位の新宿駅のすぐ傍ですからね、さすがです!
(話は脱線しますが駅の話してるのに不謹慎世界の乗降客数ランキングはこの通り10位まで日本の駅というのがまた驚き…)
その様々な方々が交錯する新宿三丁目で、おいしいお肉を食べながら、喧騒を忘れ静かにワインを嗜む、そういう雰囲気を味わいたいなら、是非easeに足をお運びください!
“自称”名物店主わたくし羽賀が従業員ともどもお待ちしております。
店主の趣味
最後にわたくし羽賀自身のことも少しお話します。
じつは”超”がつくほどの映画好きでして、毎日のように何かしら一本は干渉しております。せっかくなのでここで紹介しておきます。(ネタバレなしで←コレ大事)
最近007観ました。
007は、主役が変わる毎に、主役のカラーに合わせて少しテイストが変わる作品です。
今回は、ダニエルシリーズの5作目最後の作品
ダニエルシリーズはアクション得意な007って感じです。
さて、今回は、シリーズ最後と告知済みなので、どんな終わり方かと思っていましたが、、
結果
途中中弛みだが、中々でした。
007感が少なく、あれっ?何の作品だっけと思う事もありましたが。
ダニエルシリーズを観ている方なら是非!
観てない方なら他の映画へ!
新宿三丁目ease 羽賀好行